戯曲は本当に好きな物(殿方苛め)で埋め尽くされている。
 
 萌え・・・・という大雑把にあらゆる心情を包括してくれる言語があるので、萌え、と言っているけれど、どちらかというと偏愛、フェティシズムのほうがぴったりくる。
 とはいえ、小物を偏愛する形ではなくて、慚愧の念とかに苛まれる殿方の態度、心情、そういう場面へのフェチなので、表現しづらい。でもサドマゾというほど、前面に押し出してはない(強いて言うなら男性の羞恥プレイか)
 
 私の偏愛萌え場面は、形になった小説の中にも、ちらちらと書かれてはいるけど、それが主軸ではなく、人によっては全く!気付かないと思われるほど、ささやか。特に三角関係を書く場合ではあからさまにせず、他の歴史的要素とか登場人物とか関係とかの魅力で押すので、あまり挿入できない部分でもある。
 そもそも三角関係自体が萌えポインツだしね。
 
 戯曲の萌え部分をあからさまに場面として入れた場合、形になった小説では、かなり薄めてあるにもかかわらず、私の小説(戯曲じゃないです念のため)を一番初めに読んでくれて、身近な読者の妹が、
 
「読んでいて男に感情移入してると、居たたまれなくて、可哀想で、もう直視できない〜」
 
 というほどアレな感じらしい。
 こういうのが、戯曲では強調されまくって延々と続いている。
 肉体のイジメは、まあ状況以外では、ないんだけど。妹は私と感性が似ているが、此処だけは違うところを見ると、私独自の萌えポイントなんだろう。
 
 出来たら、こういう楽しい〜戯曲を小説に起こしたいのだけれど、それが思った以上に難しいことに最近気がついた。
 小説に起こすことを考えながら戯曲を書くと、全然進まず欲求不満になるし、戯曲を見ながら書こうとすると、説得力の無さに唖然として、プロットこねくり回している間に一ヶ月とか経ってしまうほど時間が掛かりすぎる。
 プロになりたいと欠片でも考えてるなら「多筆じゃなきゃ」と思うので、諦めざるを得ない・・・・。
 
 脳の使っている部分が違う、と思う。
 萌え場面を書いていても、小説文に起こし始めると違うところが気になり始めて、萌え部分は減っていくし(もちろん萌え部分を書くのは楽しいけど、他の部分も楽しい)、萌え気分とは違って変に冷静になっていく(でもそれも楽しいんだけど!)
 ハァハァから、ワクワクになる感じ。
 
 萌え戯曲を書いている時は、まさに燃えまくって書いていたんだけど・・・・今はいつも小説に起こすところを考えてしまって、上手く燃え盛る気分に飛び込めなくなりつつあるのが、辛い。
 最近は特に、昔書き殴って大量にある戯曲ファイルを読み返しては(2002年くらいからある。昔は小説に起こそうとは考えてなかったんだね)、
 あーまた、何も考えず気持ちのままに戯曲を書きたい! 
 と渇望する日々。
 あと、一度本気でフェチな曲をそのまま小説に起こしてみたい。