腐女子と私のエロス

 今日は撮影だった。
 コスプレイヤーの撮影もしていたので、なかなか本格的。
 本当に表紙になるのかな。
 
 ・・・・何というか、ずっと生きてきて、今夜初めて腐女子に対して理解が深まった気がする。それも私の勝手な推測とか、研究者の類型分けとかじゃなくて、腐女子さん自身の口からの忌憚のない、明確な、口の挟みようもない説明で。
 そして決定的に、やはりリアルとの分断が、私のエロス萌感覚とは相容れないんだな、とも感じた。悪い意味でも良い意味でもなく。
 私は本当に贅沢ものだなぁ、とも。
 
 実は私は当然のように「何か話せないことがあるものだ」と考えていた。だから、別に腐女子やリアルエロが話せるかどうかに限らず、一定以上はあんま望まなかった気がする。
 でも突然、私のエロス萌、女体萌、男女エロ萌、それらが密接に現実を豊かにしてくれているというリアル感、そして女に生まれた喜び・・・・みたいな私の一連の創作に係わる核の部分を含めて丸ごと、話せてしまうヒトがいたという経験をしてから、先を、と望んでしまう。
 でも丸ごと話せる(受け入れてもらえる)という状況は、ある意味生きる意味にも匹敵する力を持つのだから、仕方ないのかとも思う。
 理解者なんて、大袈裟。
 ただ何でも話せる人間が、ほんの少しいれば、心から満たされる。
 「こんなもんか」と思っていた心に、ポンとそれが投げ込まれたら、もう「こんなもんか」といおう世界には戻れない。突出した比較対象が出現して、一度精神の高揚を感じると、もう元のレベルは退屈なだけ。
 そっか、文句の全ての問題はそこに在ったんだ。
 でも、他人が私にそうしてくれないからって不服を感じるような軟弱さにはお別れしたいとも思う。自分の軟弱さを、相手の受容態度に責任転嫁していたのだと思うと、情けない。とはいえ、私はやはり、全てがリアルに向かって統合されていて、決して分断されてはいない。分断したいなんて、欠片も思わないのだ。そう思うと、語り合える人間は限られる。
 でも相手の許容を気にしながら話すなんて。そうしないと成り立たない会話なら、ないほうがいい。だって仕事場ならともかくプライベートは私の時間。なら、創作していたほうがいい。些細な孤独に耐えればいいだけなんだから。