自分の書いた小説の感想をもらうということ

 「2008-03-19 創作について」で、自分の書いているものを晒す晒さないで、かなり悩んでいたし、その後も人に相談したりしていたのだが、結局晒さない事に決定した幾つかの、自分的には事件あり。
 
 一つは、ある人に「絵師と文士は違う。絵師が、絵と文を一緒にして晒した方がいい、と言うのを文士であるあなたが真に受けてはいけない」というもの。
 それはそれで納得した。
 と、同時に「あなたは小説に対して、感想や批評を言われることに過敏なので、やめたほうがいい」ということも言われた。
 
 確かに私は、私の作品に対して「勘違いしてるだろ、コレ」という感想や、「ただ単に自分が書いて欲しいことを正当化して感想として言ってるだけだろ」という批評には絶対的に反論するタイプ。
 何でそんなこというの?
 根拠は?
 言った人が私の納得する根拠を示せない場合は、反論につぐ反論。
 
 普通は受け入れるのかな。
 小説家を目指すための本にも「受け入れるべき」みたいに書いてあったりして。
 結構、それって過敏だって証なのかな〜って自分でも思っていた。
 
 が、最近小説講座を受け始めて、自分が過敏だったのが、
 
 まっっっっったく
 
 間違っていなかった!

 
 ということに気づいたトコロ。
 
 「《キャラクターと舞台設定で狙う》小説新人賞の傾向と対策」にもハッキリ書かれていることの一つが、はしょっちゃうと「シロート意見を当てにするな。下手な感想百害あって一利なし」っていうこと。
 
 逃げ口上にしてはいけない、というのは分かってる。
 
 でも今、小説講座を受けて注意されるのは、ダメなところはシビアに「こんなんじゃダメ!」とハッキリ言われる代わりに、根拠が明白で納得できる。だから悔しいことは悔しいけど、潔く直せる。
 
 そして、何より滅多なことでは素人にありがちな「勘違いしてるだろ、コレ」or「ただ単に自分が書いて欲しいことを正当化して感想として言ってるだけだろ」という、注意や批評が、一切ない。
 結局、小説の場合重要なのは、誰に読んでもらうか、であって、読んでもらったとしても感想に従うことではない。
 
 私が反論せずにはおれなかったのは、むしろ正当だった、ということが、理に叶っている意見を貰って納得したからこそ分かった。
 すっごく傲慢な言い草だが、反論してしまったのは従うべきじゃない感想、だったからなんだなあ。そういうのは貰っても、仕方がないものだったんだ。
 
 無論、それを逃げ道にしてはいけないから、今講座を受けている。
 他人様の下さった感想に対して、こんな後ろ足で砂をかけるようなマネをしているのだから、努力は相応にしなくては。
 小説は、私の人生で大きな価値を置くもののひとつだから。
 
 こういう「才能がある」言い訳は、正直見苦しいと思うので、自分はそうはならないぞ、と。現実逃避で掘り出されない原石ぶるのだけは、ちょっと恥ずかしい。