小説、帝国の娘
「帝国の娘」メモ
上下・レイモンド・E・フィースト&ジャニー・ワーツ 早川書房
話は凄まじく面白い!
ただ戦って「オトコの亜種ですか?」的な女性戦士がもてはやされる今、
か弱く美しくもない無力な17歳の少女が元帥や策士、密偵を得て
知謀と色気、自らの肉体を捧げる政略結婚までも自ら総動員して
父権社会での駆け引きに食い込んで行き、結果夫を死に追い遣りつつ
家族の敵を討ち、家名を護る話は身震いするほど新しく、
駆け引きの面白さは類を見ない。
こうした知謀を張り巡らせて優位に立つ女性を現代は生み出せているか?
堕ちたボロミアにしか見えない夫ブントカピとかもまた中々無い描写。
正直これは指輪物語執政家のお話に読める。
丁度指輪物語が出て十年二十年後の小説でファンタジーブームの時のもの。
冷静な父、快活な美貌のこよなく愛する兄、そして妹ファラミアののお話。
父と兄を戦争で失ったあとの、活躍が見事。
萌を廃し、そのまま女にして策謀や指揮能力を存分に発揮した良い例。
粗野な夫に暴力を振るわれながらもただでは済まさない強さも萌。
が、欠点も。
奴隷の女を酷使し虐待させレイプさせても同情心のない主人公は
やはり初期の女性のプライド=中流以上の女だけのモノ、
奴隷女は何をされても仕方がない、という選民意識があからさまでもある。
また、それもあってか、美しく色気たっぷりで悪辣な女性を
「女の敵はこういう女」としか描けない、かつても今も
同性を敵視するオンナの限界をも内包した話で、気に障る部分も。
現代のように女全体で、下層の女の虐待を止めようとした時代はかつてなく
当時はこれが精一杯だったのだろうなぁ。
でもこういった要素はこの小説だけではなく
それはある意味、指/輪物語で雇い主と雇われ人の友情を
崇高化してみたりと言う問題と共通している。
上の人間は得てして「友情を得られるくらい良くしている」と思っていても
下の人間は結局搾取されていることに変わりない状態を
友情と言う隠れ蓑・偽善で補ってきたという階級万歳英国の裏が見えると
あー、こういう幻想を持って上流階級は支配を肯定してきたんだなあと思う。
今じゃ労働者の権利が強くなったから、こんな馬鹿げた話は無い。
アメリカの奴隷制もそう。
言い訳は「自由にしている時よりもよくしてやっている」だった。
でも実際は搾取される側はそんなこと思っていなくて、
時代の流れもあってある日、目覚め
突然反抗されて支配者側は戸惑ったり怒り狂ったり。
「良くしてやってただろ!」
しかしそれは支配者が押し付けていた強制であった訳で
もし教育と情報と公平な物の見方がしっかり与えられれば
被支配者はそうは思わなかったわけだ。
もちろん実際に善い支配者もおり、友情を育てた関係もゼロでは無かろう。
が、その類稀な関係が隠れ蓑となって搾取虐待が横行していたのも事実。
これはフェミが生まれたときの状況に酷似している。
初期のフェミが黒人女性や下層の女を範疇外にしておいて
女性全体の向上を口に載せていた、かつてのフェミの奔流が
黒人女性フェミから反抗された時、戸惑ったとしたら
この「何でも自分が思っていることを下のものもそう思っている」
という意識に端を発していたに違いない。