イヤな仕事は絶対するな!(倉林秀光)を読んで
人によっては「結局選ばれた成功した人間だから、こういうこと言えるんだよ」と思われかねない論調だが、納得する部分はある。
続けて苦にならない、ストレスを感じにくい仕事に就け、というのはごく当たり前の忠告だ。
苦にならないから仕事を続けられ、技術も習得でき、一本立ちできる。
ここで言われる「いのちの仕事」の探し方なんだけど、実際やってみたら十一の見つける方法で、七項目くらい合致している上、三つずつの項目も必ず二つまでは全部クリアしている。
よって、私が目指す職は小説家しかないわけだが、つい小説について本気出して考えてみた。
私にとって「小説」とは。
たぶん、日常を生きるだけでは決して出てこない、むしろ失ってしまった、と無力感に苛まれるような私の中の「失われた原始林」のような、私の無意識の部分と繋がる唯一の手段。
この「原始林」だが、「原風景」といってもいい。
失くしたら、一気に現実が色褪せてしまうようなもの。
が、小説を書くという行為で、私はいつでも自分の原始林と繋がれるわけだが、行為そのものがツールであるため書くという行為に(小説であれば)ストレスをほとんど感じない。
出来たら、ストレスを感じない仕事に就きたい、と思う。
妹は私がどれだけ書いてきたか、書かないとどうなるか知っている唯一の人間だと思うが、
「あなたを見てると、小説家になる人間って言うのはこういうのを言うんだなーって思う。だって書いていれば何も要らないって感じだから。私も書くのが好きだけど、そこまでじゃないし」
と言う。
実は私もそう思う(汗)
小説を書いていると、これが私の生きる道であり、絶対に成功できる、と素で思い込めてしまうから、反対に怖い。(狂信的な前向きさと言おうか、全然実績がないのに自分でも可笑しい)
家から出て糧を稼がねば喰っていけなくなって、本気で小説がやりたいと思い始めて、私にとって小説はやはりお嬢様の趣味ではなく、生きる精神の糧なんだと思えるようになってきた。
好きなだけ書きまくったなぁ、と思えるこの四年程度。
二次創作、オリジナル創作、仕上げてないもの、戯曲も合わせたら8000枚は書いたんじゃないかな。
でも自慢にもならない。
多筆な作家だったら3ヶ月もあれば書ける量だから、今度は賞に向けようかな、と思う。
自分の殻に閉じ篭って、いつか成功する、と考えているなんて、ゾッとしないし。
・・・・ゾッとしない自分になるため(これがむしろ私には「逃げ」の姿勢。小説に真っ向から挑んでない感じ。ある漫画家は、漫画家になると小学生から決めていて、書きたい話をずっと温めてて、漫画家になることしか考えていなかったから、高校も行かなかった、といっていた。進学を薦められても、「漫画家になる以外考えていないのに時間の無駄なのに何で薦めるんだろう」と思ったとか。これが真っ向から挑むってことだろう)、私は常に小説を傍らに置きつつ、天秤の片方も埋めようと努力もしてきた。
いわゆる、金を稼ぐ仕事、について。
結婚は全然したくないから、永久就職は除外。
(というか、最近少子化で風当たりが厳しいらしいけど、結婚したい方はさっさと結婚してくれ!!って本気で思う。結婚したくて結婚してない人が全員結婚すれば、私のように「本気で結婚したくない」人間は放っておいてくれるだろう、と思うから。結婚したいのにしてない人、頑張って婚活してくださいな〜)
私がしていて苦痛でない「金を稼ぐ仕事」は、実はパーティコンパニオンであったりする。
帰り道、「頑張って仕事したなー」って思って、ホクホクし、幸せになるから、これも小説から離れない限り、きちんとした「いのちの仕事」に成り得るなぁ、と思うくらいだ。
が、季節労働者であるため、安定しないのがネック。
特に家賃光熱費食費を出さねばならん今となっては、シャレにならん。
でも独立して、やっぱり書くことが一番重要だし、このまま進んでいくのが一番いいに違いない、と思えたことも大きい。何度もいうが、パラサイトニートの余暇の暇潰しじゃなかったんだ、と自分で信じられて。
私は私の創作を喰わせていくためにも働かなきゃナラヌ。
なのでお金は大事。
さて、パーティコンパニオンと似たような仕事で、恒常的にあるものって言うと、アレかな。お金は稼げるけど、やっぱり安定しないんだよなぁ・・・・。